新学術領域「温度生物学」




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脂肪体
HOME研究内容>リン脂質の比較生物学
研究概要
はじめに
 現存する細胞のすべての細胞膜は、リン脂質を主成分とする二分子膜構造を基本構造として成り立っていますが、様々な生物の細胞膜を構成するリン脂質の組成は、生物種、組織、細胞内オルガネラで際立って異なっています(Form and Function of Phospholipids, BBA Library, Vol.3, 1973)。このようなリン脂質組成の違いが生物学的にどのような意味を持つかは未だ明らかになっていません。例えば、図1に大腸菌(原核生物)とヒト赤血球(真核生物)の大まかなリン脂質組成を示しましたが、大腸菌膜の主なリン脂質はホスファチジルエタノールアミン(PE)であるのに対し、赤血球膜はホスファチジルコリン(PC)を主成分とて成り立っています。

   

 ホスファチジルエタノールアミン(PE)とホスファチジルコリン(PC)は、一見類似の分子構造をとっていますが、水溶液中では極めて異なった分子集合体を形成します。これはリン脂質分子の極性頭基と脂肪酸などの非極性基の分子内での体積の占める割合の違いによるもので、ホスファチジルコリンは極性部分と非極性部分の占める体積のバランスが良く、シリンダー型脂質と呼ばれ水溶液中で安定な二分子膜構造を形成します。一方、ホスファチジルエタノールアミンは極性部に対し非極性部の占める割合が大きく、コーン型脂質と呼ばれある一定温度以上では図2に示されるような非二分子膜構造のヘキサゴナルII構造をとります。

   比較生物学

 これまで数多くの生物の膜脂質が調べられて来ていますが、幾つかの例外を除いてすべての原核生物はホスファチジルコリンを有していません。一方、ほとんどの真核生物の細胞膜はホスファチジルコリンあるいはスフィンゴミエリン等のシリンダー型のリン脂質を主成分としています。これはどのような意味があるのか、生物の進化の歴史に沿って考えてみましょう。約38億年前に生命体の原型が現れてから現在に至るまでの生物の進化の過程は、1)分子集合体のエネルギー産生系の獲得から原核生物への進化、2)細胞内膜系の獲得から真核生物への進化、3)細胞集合体の形成から多細胞生物の進化、の3つの大きなプロセスにより成り立っています。特に、2)の原核細胞から真核細胞への進化つまり内膜系の形成は、現存の高等生物進化への第一歩であり、生物進化の中で非常に大きなジャンプと考えることが出来ます。先に述べましたように現存の原核・真核生物の脂質分析の結果は、多くの真核生物は安定した二分子膜構造を形成するホスファチジルコリン等のシリンダー型脂質を主成分としていることを示しています。安定な膜系を構築する脂質への分子進化が、細胞内膜系の発達さらには真核生物への進化と相関するのではないか、また進化の過程において何らかの役割を果たしたのではないか、これらの単純な疑問はとても魅力的な仮説を提起しています。今後、境界領域に位置する様々な生物の膜脂質組成と膜構築のメカニズムを詳細に探る科学的な検証が必要でしょうが、このような従来にない視点から生物の進化を見つめることにより、生物の基本的な原理の一面が見えるのではないかと考えたのが、このプロジェクトの発端となっています。 トップへもどる

スフィンゴミエリンの系統発生
 スフィンゴミエリンは、脂質ミクロドメイン・ラフトの主要構成成分として、また脂質シグナリングの起点として、現在の生物科学において注目を集めているリン脂質の一つです。スフィンゴミエリンは、1884年にツディカムが“ミエリン”にある“謎の(sphinx)”の脂質として命名したとされますが(山川民夫著、糖脂質物語、1981年)、その名の由来から脊椎動物に主に存在する脂質と漠然と考えられていました。また、スフィンゴミエリンの有無は、主に薄層クロマトフラフィーによる泳動位置により推定されていましたので、共存する脂質により正確な判定を下せない場合が多く、詳細な検討はなされていませんでした。私共の研究室では、リン脂質結合プローブの項でも紹介しましたように、シマミミズ体腔液から分泌される蛋白質ライセニンがスフィンゴミエリンに特異的に結合することを見出しました。このスフィンゴミエリン特異的プローブを用いることにより、様々な生物膜の中にスフィンゴミエリンが存在するか否かを生化学的に解析することが可能となりました。そこで小林英司先生(東京大学名誉教授・現全薬工業顧問)・会津雅子博士(現お茶の水女子大)との共同研究により、系統発生を追って数百種の動物の組織にスフィンゴミエリンが存在するか否か、解析を開始いたしました。これまでに得られた結果の概要を、図3の系統樹の上にまとめました。
   多細胞生物の系統樹
        図3 多細胞生物の系統樹


   昆虫類の系統樹
        図4 昆虫類の系統樹

 哺乳動物に至る後口動物では、脊椎動物以前の頭索類及び尾索類からスフィンゴミエリンが出現しています。一方、前口動物では、最も原始的なカブトガニをはじめ全ての節足動物(例外は後で述べる)にスフィンゴミエリンが出現しており、また節足動物と環形動物の間に位置する側節足動物のカギムシからもスフィンゴミエリンが検出されました。環形動物・軟体動物ではスフィンゴミエリンは検出されないことから、側節足動物からスフィンゴミエリンを獲得したと考えられます。
 一方、これら一連の解析の中で、きわめて興味深い例外も見出されました。前口動物進化の最も後期に現れた昆虫類のほとんど全てがスフィンゴミエリンを有していましたが、昆虫類の中でも最後期に出現したハエ目においてのみスフィンゴミエリンが検出されませんでした。近縁のノミ目、チョウ目、ハチ目の動物は例外なくスフィンゴミエリンを有しており、さらにハエ目の中のシオヤアブやハマダラカではスフィンゴミエリンが検出されました。これらの知見は、進化の過程で一度獲得したスフィンゴミエリンをハエ目の中のハエ類に於いてのみ消失したことを意味しています。生物の進化の過程で、獲得した形質を失うことはしばしば認められる現象ですが、このような膜脂質の変化が生物学上でどのような意味合いを持つか、興味ある点でもあります。現在、生物温度プロジェクトにおいてもショウジョウバエの膜脂質組成について詳細な解析を行っており、並行してショウジョウバエの膜構築の原理についても研究を進めています 。